このページでは、鏡の歴史について
簡単に説明しています。

日本の鏡の歴史
 日本に鏡が最初に伝わってきたのは、紀元前と言われています。弥生時代から古墳時代にかけて中国の鏡がたくさん入ってきて、それらは顔をうつす物としてより、有力な豪族たちの宝物や祭事の器として珍重されました。
  古墳時代になると中国の鏡をまねた日本製の鏡も出てきます。3〜4世紀に入いると、日本製の青銅、黄銅、白銅、鋳鉄の鏡が作られるようになり、これらは「倣製鏡」(ほうせいきょう)と言われます。これらの鏡を鋳造したのが、鏡作部(かがみつくりべ)といわれる人たちです。その鏡作部(かがみつくりべ)たちの中心として、
鏡作坐天照御魂(かがみつくりにいますあまてるみたま)神社、通称「鏡作神社」が、今の奈良県磯城郡田原本町にあり、鏡の神様としては、全国でもっとも由緒の深い神社と言われています。
 奈良の正倉院に伝わる多くの鏡は奈良時代を代表するものですが、一部は唐製だと考えられています。
  平安前期の鏡も唐鏡の模倣に類するものが多く作られ、平安後期になって床鏡の影響をうけて新形式の鏡が現われ、鋳出の浮彫りも変わって日本独特の文様を持つ「和鏡」となりました。
 鎌倉末期になると、中国の鏡の影響を受けた新しい形式の鏡が出現し、 室町時代の後期になると、鏡に柄をつけた柄鏡(えかがみ)が出現しました。

 江戸時代になると、柄鏡はまた新しい鋳造法によって量産化されましたが、このころまでは、いわゆる金属鏡が鏡の中心でした。

 金属鏡に変わるガラス鏡が日本に来たのは、1549年、スペイン人宣教師フランシスコ・ザビエルが日本に渡来して、九州の諸大名にヨーロッパ製の珍しい道具を贈ったときとされています。
 つづいて1575年にはガラスの製法がオランダ人から長崎に伝えられ、ガラス鏡の新しい製造技術はその頃伝わったようですが、一般化されたかどうかは不明です。
 大阪へガラスの製造技術が伝わったのは、1716〜1735年、長崎の職人が大阪に出てきてその製造法を伝えたのが最初のようです。
 1741〜1744年には、堺に17名のガラス吹き屋がいたとされています。ただ、そのころの板ガラスの寸法は、大きなものでも20cm5〜6cmのものが普通でした。
 こうして造られたガラス板に水銀引きしてガラス鏡が作られるようになりました。それらは当時鬢鏡(びんきょう)と呼ばれました。、鏡が一般に製造され始めたのは、1740年代より1800年代での間だったようです。
 明治10年以降、鬢鏡から輸入板ガラス鏡へ移行し、明治16年頃より銀引き付舶来鏡が輸入され始めらました。一方では、輸入板ガラスによる鏡が水銀使用によらず銀引き法で造られ始めました。
 明治25年頃には硝酸銀使用の天日による銀引鍍銀法が開始され、大正15年頃に影日による鍍銀法が完成(砂糖と硝酸とアルコールの混合物を加えて鍍銀する方法)しました。

 その後、昭和44年には我が国の板ガラス3メーカーにより銅引鏡が自動連続生産方式により製造されるようになり、メーカーミラーと称して流通するようになりました。

参考文献

日本ガラス鏡工業百年史
昭和46年3月1日発行
著者 先田与助
発行者 日本ガラス鏡工業百年史編纂会